2025.04.16
古代史探訪
1946年、相澤忠洋さんは、赤城山のふもとの切り通しで露出していた赤土(関東ローム層)から石器を発見しました。
相澤さんはその後も、何度となくその崖を調査し、赤土の中から次々に石器を見つけました。
しかし土器が伴うことはありませんでした。
(赤城山)
当時は
約13万~2万年前の氷期以前に富士箱根火山から噴出した火山灰でできた関東ローム層の時代にはヒトが住んでいなかったといわれていました。
しかし相沢さんが1949年の夏、ついに関東ローム層で誰が見ても疑いようのない黒耀石の石槍を発見したのです。
古い地層の中から人が作った石器が見つかったということはその古い時代に人が住んでいたということを証明するものです。
今までは土器(縄文時代人が制作した象徴的なもの)が最も古いものと思われていましたが、それより古い打製石器が古い地層の関東ローム層で見つかったということは、日本にも旧石器時代が存在したことを証明する画期的な出来事でした。
そのことが相沢さんの石器の発掘ではじめて確認されたのです。