コラム

2025.02.26

古代史探訪(3)

栗原遺跡は、昭和30年(1955年)に立教学院総合運動場造成の際に、発掘調査されたと考えられるためた遺跡で、このあたりの旧小字「栗原」を遺跡名としたものです。
昭和30~31年(1955~1956年)にかけての調査では、赤土(関東ローム層)の中から、黒曜石製の石器が出され土し、旧石器時代から、この地で人々が生活していることが分かりました。

黒曜石は主に石器を削ったり、砕いたりするのに使用したと考えられるため石器時代と推定され、

 

(竪穴住居跡)

 

また関東ローム層から発掘されたということは年代的に旧石器時代と推定されます。

また、縄文土器が出土するとともに、弥生~平安時代の竪穴住居跡が発見されています。

このあたりは、石神井川と田柄川にはさまれた台地で、日当たりもよく、生活に欠かせない水の得やすい土地であったため、長い間、人々が生活していたことがしのバレます

竪穴住居の付近を若者が走っておりました。石器時代の若者もこのように狩をして走っていたのかと思い、感慨にとらわれました。

復元された住居跡は、奈良時代のもので、昭和31年(1956年)に東京大学教授、藤島 亥治郎がいじろう博士の設計により建てられたものです。

発掘された住居跡は、地表から約50センチメートルの深さに掘られ、北側に粘土のかまどが築かれていました。

柱穴は4か所あり、復元の際には、径約21センチメートルのケヤキ丸太を主柱にし、はりけたにスギ丸太を用い、かやをふいて復元しています。

この復元住居跡は奈良のみやこの華やかさにくらべ、当時の地方の暮らしぶりがどんなものであったのかを語りかけてくれます。

ロゴマーク