古代遺跡探訪(1)
私は以前から「古代史」に興味があり、いくつかの古代遺跡を訪ねました。今回はその探訪を記したいとおもいます。
先ず私にとって非常に印象深い「茂呂遺跡」です。なぜ印象深いかといいますと、単純に初めて写真に納めた遺跡だったからです。(この時の写真は残念ながらほとんど消失してしまいました。(しかし記憶は鮮明に残っています)
当時住んでいた浦和から池袋で「東武東上線」に乗り換え「上板橋」で下車し、そこから徒歩で茂呂遺跡を目指しました。
何人かの人に所在を尋ねましたが誰も知りませんでした。途中大勢で桜の花見をしておりましたがそこで聞いてもわかりませんでした。
行ったり来たりしているうち石神井川にかかる橋を渡ったところで偶然に、石柱が目につきました。そこには茂呂遺跡と書いてあるではありませんか。一瞬信じられませんでした。しかし後ろの看板にも確かに「茂呂遺跡」と書いてあります。
そこは石神井川に沿って小高い丘になっており、いかにも古代人が住んでいた雰囲気がありました。
茂呂遺跡はのちに述べる相沢忠洋氏の「岩宿の発見」から2年後の昭和26年(1951年)滝沢浩という高校生が縄文土器を採取いたところ、ローム層の中にナイフ形の黒曜石が刺さっておりさらに火に焼けた小石の塊(礫群)もありました。これが旧石器発見の第2弾となり、日本における旧石器時代の存在が確認されました。
後の話になりますが「岩宿博物館」を訪れた時、館員の方に茂呂遺跡を訪れた話をしたところ茂呂遺跡にたいして有難がっている様子が窺えました。
よく聞いてみると「岩宿遺跡」が発見され「旧石器時代の存在」が取りざたされた当時、日本には旧跡時代はなく縄文時代が最も古い時代と考えられていました。
そのため「岩宿遺跡」は偽造ではないかなどと誹謗中傷中傷されていたそうです。
ところが「岩宿遺跡」が見つかった2年後に「茂呂遺跡」が発見され、「旧石器時代の存在」が明らかにされ「岩宿遺跡」の正当性が証明され、それらの「汚名をそそぐことができた」とほとんど泣かんばかりに話してくれました。
私もその話を聞いて非常に感動したことを覚えています。