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《江戸東京たてもの園》

 

 

 

江戸東京たてもの園は

 

1993年江戸東京博物館の分館として博物館の開館に合わせ、「江戸東京たてもの

園」として開園しました。

高い文化的価値がありながら現地保存が困難となった、江戸時代から昭和初期まで

の30棟の建造物を移築復元し展示しています。

 

建築年代や建物が利用された用途に合わせて室内の展示も行われており、その当時

の生活文化が再現されています。

 

宮崎駿監督の映画『千と千尋の神隠し』(2001年)の作画には、たてもの園の銭湯

や下町の商家建築のデザインが参考にされたということです

 

このたてもの園はかなりの広さであり、展示してある建物もかなり多いので、どこ

かをピンポイントで見学しようと思いパンフレットを見ていると、高橋是清邸が目

に着いたのでそこにしようと決めました。

 

《高橋是清邸》

 

(高橋是清邸)

 

高橋是清邸は東京赤坂からこの地に移設されたものです。

 

言うまでもなく高橋是清は総理大臣も歴任しましたが、主に大蔵大臣として知られ

ており、二・二六件で陸軍将校に暗殺された人物です。

 

彼の経歴を見てみるとかなり波乱万丈でした。

 

米国留学時代は手違いで奴隷に売られてしまい、帰国後は、英語教師をした後、農

商務省の官吏となって特許局長にまで昇進しましたが、進取の気性に富む彼はその

職を辞して南米に渡り、ペルーで銀山開発に取り組みました。しかしこれに失敗、

無一文で帰国したりしました。

 

その後、日本銀行本館の「建築事務主任」として採用され、その手腕を認められ、

翌年には九州全域を管下とする「西部支店」の初代支店長に登用されています。

副総裁時代には日露戦争の戦費調達のための外債募集を成功させ、1911年(明治44

年)に総裁に就任しました。

総裁を1年8か月務めた後は政界に身を投じ、総理大臣を1回、大蔵大臣を7回(うち

1回は総理大臣との兼任)務めるなどの活躍をしましたが、陸軍の予算を削減したた

め昭和11年の「2・26事件」で、陸軍青年将校の凶弾に倒れ、その波乱の生涯を閉

じました。

青年将校たちはこの玄関から侵入し

この階段を駆け上り

この寝室で、

拳銃と日本刀で殺害し

この廊下や窓を見ながら引き上げたのでしょう。

 

この事件を契機に、日本は急激に軍国化し、あの悲惨な太平洋戦争に突き進んでい

ったのです。