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《アマテラスの使者の派遣》

 

大国主の力でやっと完成した葦原中国は、賑わい栄えました。

 

しかしこれを見ていた、「アマテラス」は、地上世界は自らの子が治めるべきであ

ると言い始めました。

 

そして「アメノオシホミミ」を地上に派遣しました。

 

ところが天の浮橋(あめのうきはし)から地上を見下ろし、地上の神々の騒がしい

様子を見ると、あきらめてすぐに帰ってきてしまいます。

 

「アマテラス」は八百万の神々と「オモヒカネ」を集めて相談した結果、大国主に

国を譲るよう伝える使者として、「アメノホヒ」が派遣されました。

 

しかし地上に降りるやいなや「大国主」になびいてしまいます。

 

次に「アメワカヒコ」が派遣されましたが、逆に国をわが物にしようと企み、連絡

をよこしませんでした。

 

 

《最後の使者キジの派遣》

 

待てど暮らせど届かない「アメワカヒコ」からの連絡に業を煮やした神々は、キジ

の「ナキメ」を遣わしました。

 

ナキメは「アメワカヒコ」のそばで任務を思い出させようと鳴きましたが、「アメ

ワカヒコ」は「ナキメ」を射殺してしまいました。

 

するとキジの胸を突き抜けた矢は天に昇り、「アマテラス」の足元に落ちました。

 

この矢を手に取った「タカミムスヒ」が”アメワカヒコに邪な心あれば当たれ”と言

って矢を投げ返すと、「アメワカヒコ」はその矢を胸に受け死んでしまいました。

 

 

《アメワカヒコのもがり》

 

「アメワカヒコ」の弔いが盛大に行われました。

 

この時「大国主」の子の「アヂキシタカヒコネ」も弔いに参加しましたが、その姿

は「アメワカヒコ」にそっくりだったため、死んだ「アメワカヒコ」に間違われて

しまいます。

 

死人と間違われることは、死につながる不吉なこととされたため、「アヂキシタカ

ヒコネ」は怒って喪屋を蹴飛ばしました。

 

これが飛んで落ち、美濃国の喪山になったといいます。

 

 

《荒神谷遺跡》

 

島根県荒神谷の遺跡。

 

1984年、農道予定地を調査したところ、358本もの大量の弥生時

代の銅剣が発見されました。

 

更に翌年には銅鐸と銅矛が出土。

 

この発見は、出雲に巨大な勢力があったことを裏付ける証拠となり

ました。