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《定右衛門水車》

鈴木遺跡の見つかった鈴木町は、時代の半ば、享保9年(1724)鈴木新田が開

かれた場所です。

 

江戸時代の後半に、現在の鈴木小学校の場所には深谷定右衛門に

よって粉引き用の水車が設けられました。

 

水車は玉川上水から引いた水路に掛けられ、水車を回した水は、石神井川のかつて

の流路に流されました。

 

江戸時代の鈴木新田を描いた、村絵図にもこの水車が描かれており、「定右衛門」

と記されています。

 

しかし幕末の安政2年(1855)にはこの水車は幕府の命令で、火薬づくりの水

車になりました。

 

石神井川の流路に近く、大きな落差が得られる水車は、小麦よりも硬い火薬の材料

を粉にするのに向いていたためと考えられます。

 

鈴木小学校から新小金井街道に出て、南に向かうと五日市街道にぶつかります。

 

五日市街道を左折すると、街道に沿って、玉川上水が流れています。

《玉川上水》

(五日市街道沿いの歩道)

 

五日市街道沿いの歩道を歩いていると、右手に玉川上水が流れています。

 

川から小さな水音が聞こえてきますが、川を覗いても、木がこんもりと茂ってお

り,何も見えません。

 

この辺りは鈴木遺跡に近く、おそらく旧石器時代人が、狩りをしたり、食べ物を探

したり、散歩をしたりしていたのでしょう。

 

なぜか向こうからくる人が、獲物を担いで帰ってくる旧石器人に見え不思議な気分

にさせられます。

 

なお玉川上水は、徳川幕府時代の参勤交代による江戸の人口急増に伴い、承応

2(1653)年に羽村から四谷大木戸までの上水路が開削され、翌年には江戸市中に

通水を開始しました。

玉川上水は、多摩川上流の羽村取水堰から9市4区(羽村市、福生市、昭島市、立

川市、小平市、小金井市、武蔵野市、西東京市、三鷹市、杉並区、世田谷区、渋谷

区、新宿区)を通り、新宿区の四谷大木戸に至る総距離約43kmの上水路です。

 

現在でも上流部は、現役の導水路として活躍しています。