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三宝寺池の中頃の左側に鬱蒼とした森に囲まれた石神井城跡があります。

(石神井城跡)

石神井城は豊嶋氏の居城でした。

豊嶋氏は北区豊嶋に荘園を開拓したのをはじめ、同族の江戸氏とともに東京山手地

区を開拓し、豊嶋氏とその一族は平安時代から室町時代まで東京山手地区の支配者

でした。

 

しかし1457年豊嶋氏と江戸氏の支配地内に、扇谷(おおぎがやつ)上杉氏の家宰

の太田道灌が江戸城を構築し軍勢を徴用しました。

(石神井城跡)

太田道灌は岩槻城、川越城と共に古河に新たな拠点を構えた、古河公方足利成氏

(しげうじ)に対抗するために江戸城を構築したのです。

 

これに反発した豊嶋泰経、泰明兄弟は足利成氏、長尾景春らと結んで平塚城で挙兵

しました。

(石神井城に上る坂道)

しかし弟の豊嶋泰明は道灌に攻められ平塚城(現在の上中里付近)、江古田沼袋な

どを転戦しましたが最後は練馬城(現在の豊島園近辺)で討死してしまいました。

 

兄の泰経は石神井城に戻り、籠城戦に挑みました。

しかし太田道灌は石神井城を力攻めに攻め落とし、泰経は命からがら城を脱出し、

長く続いた豊嶋氏の支配は終わりを告げました。

(頂上の石神井城の跡地)

 

その後泰経は平塚城で再起を図りますが失敗し、小机城(現在の横浜市)に逃れ滅

亡しました。

 

石神井城が落城する際、泰経のむすめ照姫が黄金の鞍をつけた馬に乗り、三宝寺池

に入水したという伝説が残っており、毎年5月に盛大な照姫祭りが石神井池、三宝

寺池しゅうへんで催されるということです。

(石神井公園のボート乗り場にある照姫と泰経の撮影用張り子)

なお平成10年から平成15年にかけて大規模な石神井城の発掘調査が行われ、石神井

城の構造が明らかになりました。

 

(石神井城発掘調査記録)

私は学生時代この近辺に下宿しておりましたが、この石神井城のことは知りません

でした。

まさに灯台下暗しした。