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板橋宿を板橋観光センターの方に案内されてしばらく歩くと左側に「東光寺」があ

りました。

 

丁度しだれ柳が満開でその形の良さにしばし見とれてしまいました。

ここ東光寺には関ケ原の戦いに敗れ「八丈島」に流された宇喜多秀家の墓碑があり

ます。

彼は備前岡山城主であり、早くから豊臣秀吉に重用され、元服に際しては秀吉の

「秀」の一字を与えられるほどでした。

 

秀家の正室は前田利家の娘であり、豊臣秀吉の養女であった「豪姫」です。

 

また秀吉から五大老に一人として任じられ、豊臣政権のために尽くしました。

 

秀吉没後の関ケ原の戦いでは西軍の副将格として東軍と戦いましたがおなじ豊臣一

門である「小早川秀秋」の裏切りにより破れ、秀家の力をおそれた「徳川家康」に

より八丈島に流され、そこで84年の生涯を閉じました。

 

秀家八丈島への流罪に際して豪姫は「自分も共に」と願いましたが聞き届けられな

かったということです。

 

その後豪姫は実家の加賀家に戻り八丈島に仕送りを続け、亡くなるときは「八丈を

頼むと」いう遺言を残したそうです。

 

東光寺の秀家の墓碑は豪姫の加賀藩の下屋敷を開拓したときに建立したもので

正面には「秀家卿」と刻まれています。

 

明治時代になると宇喜多秀家の子孫は罪を許され、前田家の計らいで本土に移り住

みましたが、本土の生活になじめず大部分が八丈島に戻ったと言われております。