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《国譲りと出雲大社の起源》

タケミナカタを降伏させたタケミカヅチは、出雲へ引き返し、大国主

にこれを伝えると、国譲りを再び迫りました。

 

大国主は国を譲ることことを承諾すると、その条件として、ひときわ高

くそびえる宮殿に住まわせてほしいと願い出ます。

 

それならば、おとなしく籠っているというのです。

 

これが出雲大社の起源となりました。

 

その後の出雲大社は、何度か改築・造営され、現在の本殿は江戸時代

中期のものです。

 

本殿の高さは24メートルもあり、その迫力に圧倒されます。

 

しかし、かってはその倍の高さの48メートルあったという伝承が現

代に残っています。

 

平安代の貴族の教養本に「雲太・和二・京三」という高層建築ベスト3を並べた

句がありますが、一位が出雲大社、2位が東大寺、3位が平安京の大極殿を

表しています。

 

2位の東大寺の高さが47メートルですから、1位の出雲大社はそれ以上であり、確

かに48メートルあってもおかしくありません。

 

そして平発12年(2000年)に行われた掘調査では、伝承を裏付ける発見がされま

した。

 

13世紀の本殿の直系3メートルの巨大な柱の痕跡が出土したのです。

 

このことから、出雲大社の本殿は中世にあっても30メートルの高さを誇っている

ことが判明しました。

 

(大国主の治世の終焉》

その後、大国主は服従の証として、タケミカヅチを迎えるための

迎賓館を、出雲の国の多芸志」(たぎし)の浜に建てました。

 

さらに神に供えるための食事を準備すると、改めて誓いの言葉を

唱えました。

 

タテミカヅチは高天原に帰り、葦原中国を征服したことを報告し

ました。

 

こうして、大国主の治世は終わりを迎えました。

 

《出雲大社》

島根県出雲市にある大国主を祀った出雲大社は、縁結びのご利益がある「大黒さ

ま」と親しまれています。

 

旧暦10月には国中の神がこの地に集まり、縁結びの相談を行うとされます。

 

そのため、この月には神迎祭、神在祭、神等去出祭、など特徴ある祭事が行われ

ます。