BLOG

本日は吉野の桜を見る日でした。

しかし桜が咲いていないので、吉野で予定していた3時間は長すぎて退屈してしま

うということで別のところを観光しました。

 

前日宿泊した淡路島にある「淡路花さじき」というところでここは眺望もよく、菜

の花などが咲いており意外と良い眺めでした。

最後の見ものの「吉野山」ですが、桜がないにもかかわらず大変な人出でした。

吉野山には数々の歴史的故事があります。

・神武天皇」が東征した時、大きな烏が天皇を吉野へご案内したことが古事記に書

かれております。

 

・大海人皇子(天智天皇)が大津の都から危険を察知し、出家して吉野山に逃れ

たが兄である天智天皇の死の知らせを受け、美濃に脱出して兵をあげ、天智天皇

の子の大友皇子と戦い(壬申の乱)、勝利して政権を握った。

 

・源義経が兄頼朝の討伐命令を受け弁慶や静御前らと吉野山に隠れたが、ここでも

追討を受け、静御前と最後の別れをし、東国へ脱出したと言われてあります。

 

・鎌倉討幕運動(元弘の変)の際、後醍醐天皇の皇子の護良親王が吉野山(吉

野城)を拠点として戦ったが、幕府軍に攻め込まれ、高野山方面に逃れました。

 

・神器をもって京都を逃れた後醍醐天皇が、吉野山に別の朝廷(南朝または吉野

朝)を置いた。

・足利方に攻め込まれ、南朝は賀名生に移ったがその後も南朝側の天皇が続いた。

 

・太閤秀吉が5000ね名の一行を引き連れて吉野山で花見を行った。

 

 

今回の吉野では事前に「吉水神社」と「後醍醐天皇の墓」だけは見学しようと決め

ておりました。

 

吉水神社は首尾よ見物できましたが、後醍醐天皇の墓は入る道を間違えてしまい、

行けませんでした。

 

吉水神社は由緒あるお寺院です。

・元は吉水院といい役行者が創建した格式の高い僧坊でしたが明治時代に神仏分離

の際「吉水神社」と改められました。

 

・兄頼朝の追手から逃れた義経が静御前や弁慶とともにここ吉水院に隠れ住んだ。

その時の数々の遺品が残っています。

 

・後醍醐天皇が京の花山院から移られ、吉水院を南朝の皇居とされた。

 

・秀吉が吉野で盛大な花見の宴を行った際に吉水神社を本陣とし、数日間滞在しま

した。