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《鈴木小学校》

西武新宿線「花小金井駅」から「国分寺」行のバスに乗り「共済住宅」で下車し、

少し戻り新小金井街道を右折して10分ほど歩くと左手に、鈴木遺跡発掘の中心地、

鈴木小学校が見えます。

(鈴木小学校 ここで鈴木遺跡が発掘された)

 

《鈴木遺跡資料館》

更に直進すると目指す「鈴木遺跡資料館」があります。

外観は華奢で小ぶりな建物です。

(鈴木資料館の看板)

(鈴木資料館の建物)

 

ここに貴重な遺跡があるとは何か信じられないくらいです。

 

中に入ると、先客が4~5人おられ、係の方の説明を聞いておりました。

まもなくビデオで鈴木遺跡の発掘経過や、展示品についての説明があり

そのあと展示品を見学しました。係の方の親切な説明で、鈴木遺跡についてかなり

詳細に知ることができました。

 

鈴木遺跡は、唱和46年に鈴木小学校建設予定地で発見されました。

石器や焼礫(つぶて)などが数多く出土し、遺跡の存在が明らかになりました。

 

《旧石器時代》

鈴木遺跡の発見により、小平の歴史が約1~3万年前の旧石器時代から始まることが

明らかになりました。

 

この遺跡は、石神井川の源流に臨む11万平方メートルに及ぶ広大なもので、2万

7千年前の石の局部を磨いた石斧、1万5千年前のナイフ形石器と製造過程の破

片、2万点に及ぶ黒曜石の利器や破片、礫群などここが石器「工場」や大調理場

であったことを示す遺跡が続々と出土しました。

 

 

《石神井川流域》

これは鈴木遺跡が以前訪ねた茂呂遺跡、栗原遺跡あるいは池淵遺跡、尾崎遺跡な

ど石神井川流域の旧石器時代人の親ムラであったことを示すものと思われます。

 

つまり茂呂や栗原あるいは池淵、尾崎などの遺跡の人々は、おそらくこの親ムラか

らテントを担いで獲物を求めて移動し、またもとのムラに帰ってくるという生活を

営んでいた小ムラのグループだったと思われます。

 

《礫群》

ここで発掘された礫群は焼けた跡があり、1か所に100個以上もまとまっておりそ

れが何か所も転々と広がって見つかりました。

これは旧石器時代の人たちが、狩った獲物の肉などを料理するのに使った道具の跡

です。

 

このころは金属の鍋はもちろん、縄文土器のような焼き物もありません。

ですから食べ物を容器に入れて、火にかけて煮ることはできません。

 

そこで石の上で焚火をしその焼けたい石の上に肉をのせて焼きました。

 

焚火の上で直接肉を焼くと、肉の中まで火が通る前に表面が焦げてしまうため、大

切な肉を無駄なく、おいしく食べるために工夫したものと考えられます。

 

《バーベキューの跡?》

礫群が広がっているところを見ると現代人が河原やキャンプ場でバーベキューを

した跡に似ています。

(礫群の説明書き)

(礫群)

(展示品)

 

当時の人は今よりも寒く厳しい大自然の中を歩いて獲物を探し、自分の作った道具

で獲物をしとめ、皮を剥いで肉を取り、自分でおこした火を大切に使って料理を

し、ようやく食べ物を口にすることができたのです。

 

なおこの資料室には4面に断層図や古代から現代までの年表が描かれており、大変

理解を深めてくれます。